クンダリニーと神々のヨガ

ヨガの体験談を書いていきます

2.その幸福はガラクタである

 

この世界で得るものは失う事になってるのはなぜか?

それは「時間」によって物事が変化するからだ。

常に、一瞬一瞬によって、あらゆるものは永続することはなく散らばり、壊れる。ずっと同じ状態に留まってはいられないのだ。サナギは蝶へ、晴天は雨天へ、太陽は月と交代し、実った林檎は腐りゆき、命は生まれたら死体へと向かう。

それらは永遠じゃないからこそ、私たちの欲望は決して満たされないし、常に欲求不満に晒され続ける。

もっと美味しいもの、もっと美しい異性、もっと心を掻き立てる友達、もっと知的興奮を覚えさせる書物、もっと多くを支配できる力───際限のない強い刺激を求めるとどうなるか? もっと欲しいと願うものの限られたリソースの中で限界までくるとどうなるか?

 

依存するようになる。

 

そして依存を終えたあと、飽きるのだ。

 

ああ、こんなものかと。

なんだ大したものじゃないなと。

これは真に欲するものではなかったと、

そう理解する。

 

そして「じゃあ、何を求めればこの欲求不満は満足するのか?」とあなたは考え始める。縁があればその道は指し示される。そうでなければニヒリズム虚無主義)へと落ちてしまう。人間の存在には意味がなく、人生には価値がない。世界は無意味だ。生きてる意味なんて……どこにもないじゃないか……。

それが真だと思うようになるし、信じるようになる。

だって、それ以外の選択肢がなかったのだから。

 

──けれど、その気づきは大いなる気づきである。

 

 

あなたがこれまで求めてきたすべてのものは、真に満足できるものではなかった。故にもう手を伸ばす必要はないと、そう心から納得できることは本当に素晴らしいことである。これに気づけること自体なかなかあることではないんだよ。あなたはそれを何度も理解してほしい。何度も確認してほしい。本当に。

 

好奇心のなくなった世界で、人はいつまでも遊んではいられない

 

 

RPGを知っているだろうか?

プレイヤーは主人公という役割を与えられ、架空の状況下でさまざまな目的を達成していくゲームのことだ。そこでは街に行い、ダンジョンでスキルを磨き、最終的には魔王(敵)を倒したりもする。主人公はクエスト、報酬、味方との協力、レアアイテムやGOLDの獲得などを通して、様々な目標クリアしていく。

 

そして全てが終わる。

 

エンディングロールが流れる。

 

無限のように思えたイベントは全て消化し、裏ダンジョンも踏破。レベルは99で、お金はMAX、スキルも極限まで上げ、聖剣も、大魔道士の杖も、魔竜の鎧も、あらゆるレアアイテムも手に入れた。とことんやり尽くした。やりたいことはやった。システム内で試せることは全部試した。

 

さあ、次はどうしよう? 

……次は

 

 

ツギハベツノゲームヲヤロウ

 

モウヤルコトハナイ

 

アタラシイボウケンガマッテイル

 

 

そうして日常へと戻る。仕事の資料をつくり、ゴミ出しをし、ぎゅうぎゅう満員電車に乗り込む。昼は500円以内に収めようと簡素な物で済ませ、疲労感を抱えて帰宅する。LINEをチェックし、雑事をこなす。休日はパスタを作り、新発売のゼルダの伝説をプレイし、夜は友達と遊びにでかけたりもする。

そうしてもう二度とあのゲームのことは思い出さないのだ。必死になってお金を貯めたことも、ドロップのために何時間も同じモンスターをやっつけたこと、レアアイテムを装備し一騎当千に浸ったこと──それら全ては忘却された。

あんなにも価値を与えていたものは、今では電子の塵へと化している。

あの欲求は一体なんだったのか。

あの手に入れたものは一体何だったのか。

没入してる間だけ価値を感じたあれらは一体────。

 

何だったのだろう?

 

そして、もうそれについて振り返ることはない。

けれども、今度は別の──本質的には同じ──新しい欲求へとあなたは右往左往するのである。

 

 

その種の幸福になんの意味があるのだろうか?

起きたら途中で終わる夢のようである。

──パトゥル・リンポチェ

 

 

そしてもし、あのゲームは終わらなかったとしたらどうだろう? 物語は閉じない、やめることはできない。プレイヤーは主人公のまま、私たちのいる日常生活に戻ることはできないとしたら?

───新鮮なものはどこにもない、見飽きた世界。

瑞々しさとは真逆のその場所で、主人公はなにをしたらいいのだろう?さあ…次はなにを始めよう……?

 

 

好奇心のなくなった世界で、人はいつまでも遊んでいられるだろうか

 

この虚無感が、

この虚無感こそが、

「真の幸福」を求める契機となる。

だからこそ、多くの人が手を伸ばしてる(儚い)幸せに対して、「意味ないじゃん」と思えることは大いなる気づきである。

 

「現実って案外つまらないものだね、生きてる意味よく分かんないや」と思った人へ、その通り!すごい!!幸福はガラクタだって気づくなんて!!!

 

 

 

 

この現実世界は、つまらなく、手にしたいと思えるものは実はないのでは?───そう気づけること自体素晴らしいことである。

 

食べ物、お金、お酒、

能力、IQ、知識の達成、

異性、恋愛、人気、

仲間、親友、家族

権力、称賛、地位……

 

それらは決して自らを幸せにしない。むしろよくよく考えればそれらは心を疲れさせ、さらなる欲求不満へと駆り立てるものである。本当にそれらは幸福をもたらすのか?最初は気持ちよさをあなたに提供するものの、最後はひどく苦しめやしないか?

得ようと努力し頑張る。

命を消耗させ、精神を緊張させながら、膨大な時間を費やして欲しいものを手に入れる。頑張った結果、心地よさを手に入れる。ああやった。やっと手に出来た。その達成感と心地よさは一年も続かない。なんなら翌日さえもその気分が続くのかは怪しい。

さらに例え得ることができても、維持するのは大変だ。ずっと握りしめたままにすることも叶わない。なぜなら最後には絶対に失うからだ。

いつか失うことが分かりつつも、手にすることを望み、そして瞬く間に消えていくそれら。それらを何度も何度も手に入れ、失い、手に入れ、失い、手に入れ……何度も失う。そんなことを繰り返せばいつかは誰でも気づく。

 

「なんか、おかしくない?」

 

まだ手にしたことが無いものであっても、この違和感は「どんなもの」に当てはまると理解してゆく。

恋人と結婚してもあの多幸感は、生活の維持、お金のやりくり、相手への飽き、考えの食い違いによってどんどん冷めてゆく。ふたりの生活は萎み始め、最後はどちらかともなく別れを切り出す。例え別れなくともどちらかが先に死にことは免れない。結局好きな人とはずっとは居られないし、好きな人と”ずっと”楽しく暮らすことはできない。

もちろん、その中にもささやかな幸福はあるだろう。しかしそのささやかな幸福もまたほんの数分あなたを気持ちよくさせるだけで、翌日さえもその気分は続かない。

 

「あれ、恋愛は幸せになりえない?」

 

そうして対象を変える。

 

「美味しい食べ物が、私を幸福にしてくれるかも!」

「親友や家族が、私を幸福にしてくれるかも!」

「有名になることが、私を幸福にしてくれるかも!」

 

美味しい食べ物は、ほんの数秒あなたの舌を満足させる。

おいしいお酒は、ほんの数時間あなたの心の苦しさから解放してくれる。

親友や家族は、ほんのすこしあなたの孤独と寂しさを癒してくれる。

卓越した能力と地位は、あなたを支配者にする。多くの人々はあなたをすごい!すごい!と褒めてくれるし、あなたの言葉によって他者を召使いにすることだってできる。ほんの短い間。

 

そしてそれを繰り返す。何度も何度も。

 

莫大な貯蓄は、「食べ物、能力、恋愛、人気、仲間、親友、家族、権力、称賛、地位」を達成することを容易くさせる。あなたの願いをより叶えやすくさせてくれるアイテムは、あなたを虜にする。お金があれば、上記は手にするの現代では簡単だ。

 

いのちを消耗させ、莫大な時間を費やしそれらを手に入れる。あなたは頑張った結果、それらの心地よさを手に入れる。ああやった。やっと手に入れた……。その達成感と心地よさはどれくらい持つだろうか? 一時間後にもあるだろうか? 朝になってもその気分は続いてるだろうか? 30日後ならどうか? 

 

──儚く消えるものだと知りながら、けれどもあなたは繰り返す。

 

何度も。

何度も。

飽きるまで。

 

 

 私たちの行いは子供の遊びのようである。

 続ける限り続き、止めてしまえば止むことになる。

──ロンチェンパ

 

 

さて。この世のものはあなたが望むものだっただろうか? 

 

 

よく人生は暇つぶしだという人がいる。

本質的には無意味だと知りながら、ほんのささやかな気持ちよさを味わうために、生きることを納得する。最後には「死」ぬのだから、皆寿命が尽きてしまえば、獲得したものなんで泡のようなものである。死ぬまで──そう死ぬまで──、一瞬の気持ちよさのために多くの苦悩をよしとしよう。

 

 

もちろんそれはそれでいい。

納得できるならば。

その考えに、心から、誤魔化しなく、納得できるならば、その生き方も素晴らしい。

 

 

あなたは納得できるだろうか?

 

生きてる意味が分からないとこれまで思ってきたならば、きっと、心の底からは納得しないだろう。

 

 

「でも、

 それしかないじゃないですか……。」

 

 

それ以外の「道」をあなたは知らない。

それ以外の「道」を知らないからこそ、今まで求めようともしなかったし、求めることが出来なかった。

この世界における「何かがおかしい」という違和感は、結局のところ「真の幸福」を望むからこそだ。それは永遠である。「永遠につづく幸福」それを求める気持ちが、違和感として現れていた。

 

あなたはそれを求めるだろうか?

 

手にしても消えるのではなく、「永遠に離れることのない心地よさ」があると知ったならば、それを望むだろうか?

 

今まであてどもなく費やしてきた努力を、そこに向けることができるだろうか?

 

もしもこのお話のつづきが気になるならば、またここにおいで。

 

またね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【体験談】クンダリニーが上昇し、アムリタが発生する

 

【まとめ】

4か月で

クンダリニーが背骨を上昇(ゆっくり型)

②三つの結節(グランティ)を超えて頭頂部まで登る

クンダリニーは熱が伴うものに変化し、水のアムリタが発生する。

④アムリタが背中やチャクラから流れ、(背骨以外の)身体中のナーディを浄化してゆく

 

──現在、歓喜のアムリタに変化するのを見守っている。

 

 

 

【きっかけ】

・2021/9 から霊性修行に興味を持つ。カルマの法則に確信を持てたので、ではどうすればカルマを軽くできるのか?と調べていたらマントラを詠唱すること(ジャパ)が効果的だとわかり早速始める。

(ここでいうカルマとは過去世から持ち越してきた人格の癖(=サンスカーラ)や将来起こり得る良いこと悪いことのイベントを含んだものを指している。要するに過去世とそれから重ねてきた行為がのちに自分に返ってくることを信じられたのである)

 

・ガーヤトリーマントラ、と呼ばれるマントラヴェーダ全てを凝縮したものであり、最高とのことでこれを唱えることとした。

 

 

 

【9月】

①ジャパにより、心が透明になったような感覚を覚える

 

 

詳細

・ガーヤトリーを一日に60分唱えると、ほんのり心の汚れみたいなものが落ちている実感があり、「やっていくと効果あるかも?」と手応えを覚える。

 

 

【10月】

①身体の周りが振動し始める(地震に感じられる)

②アナハタが浄化されナーダ音が聞こえ始める(高周波音からベル/水流の音まで)

③エネルギーに遮られ物質が見えなくなる現象に出会う

④会陰が脈打ち、収縮し始める

マントラのエネルギーにより、身体が反応し始める(頭部が勝手に動く)

⑥クンダリーニがスシュムナーを開通する

 

 

詳細

・ガヤトリマントラハヌマーンチャリサを唱えていると、「身体の周りが振動し始める」ことに気づく。最初は地震かな?と思ったが、マントラを唱えるたびに周りが震え出すので、マントラの影響だと気づく。

(この時は分からなかったが今振り返ってみると、体中のナーディにエネルギーが流れるものの詰まっているのでそれが抜けようし抜けきれない故に振動していたのかもしれない)

 

・心臓から音が発するようなイメージで、マントラを唱えることを試験的に繰り返していたら、呼吸が数秒だけ自然に止まる。そして右耳から常にキーンとした金属音が聞こえ始める。

どうも心臓やアナハタチャクラの浄化が進めば、ナーダ音と呼ばれる上のような音が聞こえてくるとのこと。意図したことではなかったが、心臓でガヤトリマントラを唱えることが一役買ったようである。

そしてこのときになって、「ヨガでいっているチャクラやナーディは、形而上的なものでも思想でもなく本当にあるのかもしれない」と実感がでてくるようになる。

 

・ジャパ(マントラ詠唱)として必要な、数珠を購入してみる。ルドラクシャと呼ばれる適した実でてきた108の数珠でマントラを唱えることにした。

 

・「ナーディショーダナ」、「火の呼吸」、「背骨でomを唱える」の3つも日々の訓練に取り入れることにした。

(ナーディショーダナはイダーとピンガラという二つの管を清めることを狙い、火の呼吸は身体の邪気やナーディの詰まりをとるため、背骨omはクリヤヨガにある技法)

 

・第一チャクラとされる会陰部分が脈打ちはじめる。

・聖者の写真を見ながらマントラを唱えていたところ、写真を持っている手が視覚的に見えなくなったり、写真部分がエネルギーに覆われ(目を開いていても)その絵を視認できなくなる。また青紫の光がふわふわと輝き始めることが何度かあったので、「エネルギーと呼ぶしかないものがこの世にあるのか…」となんだか納得してしまった。

 

・日々の訓練を続けていくと、ある朝、貝殻を耳に当てた海の音色が聴こえてきたり、左耳から水流の音、右耳からベルが響くように聞こえてきたりしてきた。これらはよほど静かな環境じゃない限り聞き取れないので生活には影響はなかった。

また一日もすると聞こえなくなったり、また聞こえだしたりと、聞こえる条件はよく分からない。心や身体。サットヴァ性に保っていたらいいのかも?

 

・ガヤトリマントラを唱えると、頭が真上をむき、顎が90度近くに自然となるので、そのたびに頭の位置を戻し、ジャパを再開することが続いた。

(当時は原因が分からなったが、これは背骨が上昇するマントラのエネルギーが、首のところにある結節と呼ばれる壁に阻まれているからこうなることを知る。良い兆候だろう)

 

 

10/30

夜中、寝ていたら突然、身体中からぐわっーっ温泉のような温かいエネルギーが全身を、あるいは背骨を上昇し、満たされ、包まれた。

何事か全然わからなかったので寝ぼけ眼に、びっくりし、こわくてガヤトリマントラを内心で詠唱しつづけた。

数分経っても気持ち良い状態が続き「あれこれ恐るようなものじゃないのでは?」と考え、身を任せて寝た。

朝、「いやーいい体験でしたなー」と思い出し起床。

 

(当時これは何か分からなかったが、おそらくクンダリニーが最初にスシュムナーを開通するときの体験みたいだ。クンダリーニ がまだ完璧に上昇したわけではないものの、そのための準備が少しだけ整えられた時のものだと思われる)

 

 

 

【11月】

①背骨を這うようにしてクンダリーニが上昇するが、詰まっているため上に行かない

②心の声の大きさが、とても小さくなる

 

 

 

詳細

・背骨にそって下から上へと「何か」が這うようにして、上昇してくる。

あまりにも怖くてなんだこれ!と思いながらも、第四チャクラあたりで停止する。

背骨のなかで進みたくても進めない、障害物がたくさんあり、上へ行けない感覚を覚える。

これは背骨のナーディが浄化されていないため、クンダリーニが上ろうとしても登れない状態

(今思えば腰のあたりにクンダリニーの上昇を防ぐとされる結節があるのだけど、私の場合はこれを感じるまでもなく突破していた。原肉体や現世に執着が元より少ないので、そのおかげだろうか)

 

・ガヤトリマントラを唱えるのが自然となり、楽になる。

楽になるという表現をしたいくらい、それまでは苦行のように唱えていた。

 

・せっかくなので(ガヤトリ)ヤントラを購入し、お香を焚きながらマントラを唱え始める。

こうするとガヤトリマントラの効果がパワーアップすると聞いたのだが、夢見が悪くなること、何か事象が発生することもなかった。

 

・「内心で唱える声の大きさ」が格段に小さくなっていた。

白銀の瞑想をした翌日だったので、そのせいかもしれない。

 

 

 

【12月】

①瞑想中、眩い光と意識が眩むほどの純粋なエネルギーが注ぎこまれる体験

②チャクラそのものや、アストラル体の帯のようなものを認識する

クンダリニーが徐々に胸から上へと移動し、頭頂部まで達する。(とても小さなもの)

④蛇としか言いようがないエネルギー(クンダリーニ)を認識する

 

 

詳細

・Eクリヤ(秘伝のマントラ)を唱えてみたら、眩い光に覆われ、考えることすら、意識を保つことすら難しく、途中でマントラの詠唱が進まなくなることがあった。

1回目でこんなに効果があるマントラは初めてだ。神エネルギーにみちみちでいくので素晴らしいと感じた。

 

・Eクリヤを唱えると湯気のようなものが、ふわりふわりと揺らめく。おそらくアストラル体が反応しているのだと思う

 

・みぞおちのチャクラ(身体の前面)を、急に意識できるようになり、ぐるぐふ回り出す。

(お風呂入ったあとに瞑想やマントラ唱えると効果がぐんと分かりやすくなる)

 

・背骨をクリーニングする瞑想を12月から初めた。どうにかクンダリーニが胸から上へと上がって欲しいので徹底的にやることに。

 

・いつもこの時期は花粉症に見舞われて大変な思いをするのどけど、クリヤヨガ、あるいは神々のヨガをしているおかげか、鼻水がでない。すごい。ただ5月までは様子見である。

 

・12/30 背骨をクリーニングする瞑想、Eクリヤの効果によって、この日ようやくクンダリニーが頭頂まで到達する。それは小さいエネルギーだったものの達成感はあった。またクンダリニーエネルギーが頭部に入ったせいか、眠気が全然こずうまく眠れなかった。

 

・さらに「うねうねとした、密度のある、まるでヘビの動きをするエネルギー」が仙骨の周りをぐるん、ぐるんと動いているのを感覚し始める。

ああ、クンダリニーが蛇というのは比喩ではなく、実際にこのエネルギーを感じたらヘビとしかいいようがないということか、と納得した。そしてこの大きなエネルギーを背骨のスシュムナー管に入れて上昇させるものの、横隔膜あたりで止まってしまった。やはりまだ大きなクンダリニーエネルギーは上には行けないようだ。

 

(※どうやらクンダリニーが開き始めるとき、人によっては全開になり、その莫大なエネルギーが背骨を通過することで全てのチャクラも開き、第七チャクラを貫通し、神秘的な体験をするケース(しかし一歩間違えば恐ろしい事態を招いてしまう)と、このようにゆっくりゆっくり進行するケースがあるみたいだ)

 

 

 

2022年

 

 

 

【1月】

①背骨のナーディの詰まりを殆ど取り除く

②三つの結節を破る

③大量のエネルギーを背骨を循環するようになる

④背骨の上昇エネルギーが強くなり、身体が軽くなる

⑤ナーディが浄化され、何もなくとも幸福感に包まれる

⑥太陽を直視するような光に出会う

クンダリニーに熱感が伴う(43度くらいの気持ち良いあたたかさ)

⑧頭部からアムリタ(甘露)が発生する

⑨瞑想中、風のうねるのようなものを経験することが多くなる

⑩就寝中、黄金のエネルギーに包まれ至福を覚える

 

 

詳細

 

・背骨の第二、第三チャクラを感じられる日とそうでない日がある。理由はわからない。常に意識すれば感じるようになりたいのだが。

 

・N瞑想をはじめる。

あまりにも背骨へのエネルギーが強く、背骨の詰まりがどんどん浄化され始める。チャクラの汚れにも効いている。本当なら数年グルのもとで奉仕をし、その上で伝授されるような秘伝級の瞑想であることを理解し、これが一般公開されていることに感謝した。

 

・N瞑想をしていると、背骨の下から上に向けてエネルギーがぐわん!と上昇するものの、首にある結節(壁)によってその流入を阻まれる状態が何度も続いた。

首のある位置で圧迫感と詰まりを感じ、自動的に首がぐるんぐるんと縦横無尽に周り出す。おそらくこれで首に溜まっている詰まりを取り除いているのだろう。何度もこれをやっているとエネルギーの通りがよくなっていった。

 

・N瞑想をしていると、太陽を直視するほどの光明が瞼に差し込んだ。瞑想が深まるとこういう霊的な光が強くなるらしいので、それだろう。

 

・N瞑想における神エネルギーが、クンダリニーエネルギーと混ざり合い、それが背骨を沿って上昇し始めた。今まで大きなエネルギーは第四チャクラあたり(胸)で止まっていたのだが、今回はそこを通過した首の根本まで到達できるようになった、

逆にいえば、首から上は「ここから打ち止めだ」と言わんばかりに通らない。まだまだ首の結節(グランティ)を浄化する日々が続きそうだ

 

・ムーラパンダと組み合わせた技法を知り、日々の訓練に取り入れる。とはいえ1日に6回くらいしか息は止めないけとも、腹部に熱が生じて気持ち良い

 

・N瞑想における特殊な技法により、エネルギーがどかんと跳ね上がり、上昇する力も増し、上半身が浮くような感じになる。(下半身は重くてそのまま)

 

・背骨にエネルギーをガンガンと流し込むことによって、スシュムナー管が押し広げられ、どんどん広くなってくる。そして何度も胸・腰のあたりに詰まりが生じ、ぎちぎちと狭まって場所を何度も開通させてゆくと、さらに広くなってゆく。

 

・N瞑想をしていると、自動的にヴィダヤーナパンダがかかり、ゴーッとした滝のよつな音が聞こえ始め、会陰が熱くなったので、「クンダリニーが覚醒し全開になってしまうかも」と思い、まだ準備ができてないなら解放せすわそのままでお願いしますと祈っていた。

(※人格の問題が正されてないと、クンダリニーはチャクラをsuper chargeしてしまい、問題や執着が大きくなって表出される問題がある)

 

・このところ、何もなくとも、幸福感が湧き起こりとても楽しい。

楽しさに理由はない楽しさに包まれる。

それゆえか、たまに踊るようになる

 

・1/26 頭頂部から液体のエネルギーが流れ落ち始める。怪訝に思い調べるとアムリタ(=甘露)ということが分かる。のちにこのエネルギーは舌に落ち始め甘さを感じ始める。エネルギーに甘さがあるとは驚きであった。

 

参考: https://m.youtube.com/watch?v=v__XHY6JyGM&list=PLwd8H8l408XGmd1U4aTjxjbo8CHN5wJz5&index=8

 

クンダリニーエネルギー自体に「熱感」を伴い始める。

温かいものが背骨から頭に流れ、気持ち良い。

 

・背中のエネルギーが外のアストラル体に流れ出し、充満する感覚を覚える。

また最近、マントラ唱えたら、眉間に集中するとエネルギーの風を身体の周りで感じることが多くなってきた。こうぶわーっと風みたいになる

 

・背骨のナーディの詰まりはほとんど取り除くことができた。

次は頭部のナーディの詰まりをエネルギーを流し込み浄化してゆく過程に入る。

 

・夜寝てる時、気持ち良い黄金の光に包まれ、それが身体中に波紋してゆく。じわじわと浸透してゆくようでもある、そんな気持ち良い体験に出会う。

 

 

 

 

【2月】

 

・N瞑想における、段階的な唱え方をしていると、エネルギーが段違いになり、背骨の熱で汗びっしょりになる。

 

・瞑想後、終わりのアーサナをしたらつい眠ってしまい、目を覚ますと、頭部に神エネルギーが充満し、頭部にあった詰まりのほとんどが溶けて消えていた。ブラフマランドラ周辺や、アージュナチャクラ辺りにあった硬さは見る影もなかった。

 

・懺悔の行を取り入れ始める。

 

・チャクラから「下降するエネルギー」が発生し、それか腰や仙骨あたりに流れてゆく。

すると突然「メキッ」と音がし、腰回りにあったナーディの詰まりが崩壊した。これはおそらくアムリタエネルギーで浄化したのだろうと思う。

腰回りのエネルギーの通りがとても良くなった。