「現実って案外つまらないものだね、生きてる意味よく分かんないや」と思った人へ、その通り!すごい!!幸福はガラクタだって気づくなんて!!!
この現実世界は、つまらなく、手にしたいと思えるものは実はないのでは?───そう気づけること自体素晴らしいことである。
食べ物、お金、お酒、
能力、IQ、知識の達成、
異性、恋愛、人気、
仲間、親友、家族
権力、称賛、地位……
それらは決して自らを幸せにしない。むしろよくよく考えればそれらは心を疲れさせ、さらなる欲求不満へと駆り立てるものである。本当にそれらは幸福をもたらすのか?最初は気持ちよさをあなたに提供するものの、最後はひどく苦しめやしないか?
得ようと努力し頑張る。
命を消耗させ、精神を緊張させながら、膨大な時間を費やして欲しいものを手に入れる。頑張った結果、心地よさを手に入れる。ああやった。やっと手に出来た。その達成感と心地よさは一年も続かない。なんなら翌日さえもその気分が続くのかは怪しい。
さらに例え得ることができても、維持するのは大変だ。ずっと握りしめたままにすることも叶わない。なぜなら最後には絶対に失うからだ。
いつか失うことが分かりつつも、手にすることを望み、そして瞬く間に消えていくそれら。それらを何度も何度も手に入れ、失い、手に入れ、失い、手に入れ……何度も失う。そんなことを繰り返せばいつかは誰でも気づく。
「なんか、おかしくない?」
まだ手にしたことが無いものであっても、この違和感は「どんなもの」に当てはまると理解してゆく。
恋人と結婚してもあの多幸感は、生活の維持、お金のやりくり、相手への飽き、考えの食い違いによってどんどん冷めてゆく。ふたりの生活は萎み始め、最後はどちらかともなく別れを切り出す。例え別れなくともどちらかが先に死にことは免れない。結局好きな人とはずっとは居られないし、好きな人と”ずっと”楽しく暮らすことはできない。
もちろん、その中にもささやかな幸福はあるだろう。しかしそのささやかな幸福もまたほんの数分あなたを気持ちよくさせるだけで、翌日さえもその気分は続かない。
「あれ、恋愛は幸せになりえない?」
そうして対象を変える。
「美味しい食べ物が、私を幸福にしてくれるかも!」
「親友や家族が、私を幸福にしてくれるかも!」
「有名になることが、私を幸福にしてくれるかも!」
美味しい食べ物は、ほんの数秒あなたの舌を満足させる。
おいしいお酒は、ほんの数時間あなたの心の苦しさから解放してくれる。
親友や家族は、ほんのすこしあなたの孤独と寂しさを癒してくれる。
卓越した能力と地位は、あなたを支配者にする。多くの人々はあなたをすごい!すごい!と褒めてくれるし、あなたの言葉によって他者を召使いにすることだってできる。ほんの短い間。
そしてそれを繰り返す。何度も何度も。
莫大な貯蓄は、「食べ物、能力、恋愛、人気、仲間、親友、家族、権力、称賛、地位」を達成することを容易くさせる。あなたの願いをより叶えやすくさせてくれるアイテムは、あなたを虜にする。お金があれば、上記は手にするの現代では簡単だ。
いのちを消耗させ、莫大な時間を費やしそれらを手に入れる。あなたは頑張った結果、それらの心地よさを手に入れる。ああやった。やっと手に入れた……。その達成感と心地よさはどれくらい持つだろうか? 一時間後にもあるだろうか? 朝になってもその気分は続いてるだろうか? 30日後ならどうか?
──儚く消えるものだと知りながら、けれどもあなたは繰り返す。
何度も。
何度も。
飽きるまで。
私たちの行いは子供の遊びのようである。
続ける限り続き、止めてしまえば止むことになる。
──ロンチェンパ
さて。この世のものはあなたが望むものだっただろうか?
よく人生は暇つぶしだという人がいる。
本質的には無意味だと知りながら、ほんのささやかな気持ちよさを味わうために、生きることを納得する。最後には「死」ぬのだから、皆寿命が尽きてしまえば、獲得したものなんで泡のようなものである。死ぬまで──そう死ぬまで──、一瞬の気持ちよさのために多くの苦悩をよしとしよう。
もちろんそれはそれでいい。
納得できるならば。
その考えに、心から、誤魔化しなく、納得できるならば、その生き方も素晴らしい。
あなたは納得できるだろうか?
生きてる意味が分からないとこれまで思ってきたならば、きっと、心の底からは納得しないだろう。
「でも、
それしかないじゃないですか……。」
それ以外の「道」をあなたは知らない。
それ以外の「道」を知らないからこそ、今まで求めようともしなかったし、求めることが出来なかった。
この世界における「何かがおかしい」という違和感は、結局のところ「真の幸福」を望むからこそだ。それは永遠である。「永遠につづく幸福」それを求める気持ちが、違和感として現れていた。
あなたはそれを求めるだろうか?
手にしても消えるのではなく、「永遠に離れることのない心地よさ」があると知ったならば、それを望むだろうか?
今まであてどもなく費やしてきた努力を、そこに向けることができるだろうか?
…
もしもこのお話のつづきが気になるならば、またここにおいで。
またね